両親と幼い頃のこと

私は何に押しとどめられているのだろう。

それは、ひきつった反応、うわずる内臓・・・

 

幼い頃のことを思い出す。

ある日、幼稚園の下足置き場は園児たちでごったがえしていた。私はそれを見て、流れが過ぎるのを待とうと思った。人とあらそわずに済むなら。

その後、私の自我は様々に変形し、いったい私とはなんだったのかわからなくなった。一番古い自我の記憶

幼い頃の私は、よく腹を立てていたと思う。くやしい気持ちがよく起こったのをおぼえている。そして、それは3歳頃には他者へ、特に大人への不信感へと育っていた。いまではすっかりなおったが、よく人を睨みつけていた。アルバムでさかのぼると、それが3歳くらいに始まっている。あとから母が漏らしていた話と照らし合わせると、離婚の危機もあった頃だそうだから、その影響もあったのかもしれない。ちなみにうちはカトリックで、病弱な父がもう働けないと専業主婦をしていた母につげたことを神父様に相談しにいったところ、神父様は母に「あなたが働きなさい」と指示をした。母は、父をどうにかしてほしかったのに、すべて自分に帰ってきてしまったのだ。母も病気がちで、やっとつとめをやめて家に入れたというのに、ものすごい憤りが走ったようだ。それから母は、体を酷使して働くようになる。家事もこなし、資格もとり、年収も父よりも稼ぐようになっていく。しかし、もとから体が弱いので、ガン、うつ、躁鬱などを繰り返していた。

今思い出しても、心がぎゅっとなる。この人たちの人生とは一体なんだったんだろうかと、本当にずっとわからないでいる。つかの間の安堵や、老後のために働きづめで、楽しかったのだろうか、生まれて来てよかったと思ったことはあったのだろうか、ふたりが60歳そこそこで亡くなっていく姿を見て、私は本当にわからなかった。天国へ行けてよかった。苦しい生から解き放たれてよかった。生とはそんなものでしかないのか?

私を成人近くまで育てあげて、それで責任を果たせてよかったと思っているよ、という考え方もあるかもしれない。けれど、苦しみばかり、自分自身をごまかしてばかりで、本当のところ、一度だって一息つけたことすらなかったんじゃないか。一息ついたら、崩れ落ちてしまうから・・・。

私の言っていることは、おそらくかなり多くの人に当てはまる「当たり前」のことへの疑問なのだと思う。それで満足できないのがおかしいと言う人がいても驚かない。けれど私は、そういう悲しい人はいなくなってほしいと思う。

両親の人生の価値なんてことを、子どもがどうこう言うのは傲慢だと言う人もいても驚かない。そういう悲しい人も、豊かな未来ではいなくなっていてほしいと思う。私は両親にとっての両親の人生の価値を問いたいわけじゃないんだ。ただ、そこには本人たちですら気づかない根源的な豊かさについての問いを差し挟まないわけにはいかない。

子どもは、両親の人生を半分体験するのだ。その姿を見て、理解はできなくとも感じ取り、トレースしていく。パラレルワールドのようにそれを見ながら、違う選択を行う人もいるだろうし、幸福でも不幸でも、疑問を持たずに進む人もいるだろう。私は、確実に、両親のように進めば、辛い人生、感情に振り回されながら、つかの間の安堵を得るだけのために、息つく暇も無く、生活のために体を削る、余裕の無い人生が待っているか、もしくは自分を情けない役立たずだと内心では思いながら、日常生活での努力と、神との対話に安らぎを求めるか。

母のパターンに陥らないように抵抗を続けて来たが、結局、父のパターンにも進みかけている自分を発見するとは・・・

病いの人生には、何の価値もないのだろうか。現世では何も価値を得ることはないのだろうか。単なる障害で、単なるハンデで、損でしかなくて、うまく行けばその努力の大きさに称賛が大きくなる程度のものでしかないのだろうか。あるいは、カルマで業で罰で修行でしかないのか。それともこれは何かの間違いで、単なる心理的な未熟さによる精神の発達過程におけるもので、なにかの心理療法でよくなるものなのか。(この考え方が一番嫌いだ)

治ることはないにしても(難病なので治ったら奇跡だ)、自我を手放し、内なる自然の流れにゆだねることで、私の中で生まれて来てよかったと思える時間が増えればいいと思う。おそらくこの両親の間に生まれてこなければ、この第三の選択肢にたどり着くことはできなかったのかもしれない。

そして私は、奇跡が起こってほしいと願っている。

様々な感情に揺らされながらも、こうして心の底を覗き込んでいると、私はこの両親の間に似たような体質で他の人はあまり経験しない不幸な人生だからこその感性を見たからこそ、生まれてきてよかったと安心して思えるような日々を送って死んでいくことが、両親の人生にも価値をもたらすのだということが答えのように思えてくるのだ。