価値の無い自分を悲しむ心
「自分に価値はない。けど、だからこそ、優しくします。」
昨日、そういう風に思考実験を開始して、
自分の内側にわきおこる心を優しく見守ってみた。
「無価値な自分」を「悲しむ心」があった。
誰かのほんの少しの声のトーンであったり、そっけない態度であったり。
「無価値な自分」を「悲しむ」ための証拠探しをたくさんしていた。
悲しいのは、「愛されたい」から。「優しく」してほしいから。
「愛されない」し、「優しくされない」理由を、「自分の価値」に求めるから
「自己肯定」して「自分の価値」を持とうとする。
これが少し前までの私。
価値は、有っても無くてもいい。
私は無い方がしっくりくる。
これまで生きてきた過程で、やっと出せた結論。
有るって思うと、有ることが優しくする理由になってしまいそうというのもある。
無いけど優しくする方が、広くていい。そんな感じかもしれない。
「無価値」だから「愛されない」と思い込んでいる自分を「悲しむ」心は、
「無価値」だけど「優しく」してもらえることで、「悲しむ」必要がなくなった。
まだわからないことばかり。
どうなっていくんだろう。
引き続き、優しく観察してみようと思う。