認知療法への怒り

私は認知療法は嫌いだ。

いや、認知療法だけでなく、それ以外の心理系カウンセリングでよかった試しがない。

もちろん協力的な態度で、治ると思わなきゃ効果もでないよねと思ってやってきた。けど、人間としての底が浅い人間たちに出会ったって、残念な気持ちにしかならない。

特に最近、認知療法がいいと言ってくる人がいて、嫌だって話してるのに、忘れて何ヶ月か後にはまたいいんだよねと言ってくる。うるさい。

勧めてるわけじゃないんですよ、と言い訳するが、その人はいい人たちで、心から改善を願ってくれているのだろうけれど、果たしてそれは、どこへ向かっての改善なのか?

「あなたの幸せと感じるところ」と言うが、本当にそうだろうか?

あなた方は本当に相手の自由を願っていますか?その制限されまくった、制限を意識下に埋め込んだ心で?そんなことができますか?心配するふりをして、相手をコントロールしようとしていませんか?無意識だから罪はない?はいはい。そこまで責任持てないよ?はいはい。そうですよね。

社会に出て働けないことを「障がい」と見なすこと自体が、産業社会という単なる一形態への適合が是という傲慢だと思う。

傲慢に人を押さえつけて働くことが「強い」のですか?

そういうパワーのやりとりに疲れたんです。心が限界なんです。体がボロボロなんです。

私は「認知の歪み」という言い方が嫌いだ。産業社会側に居れば、確かにそう見える。けどそこには正してやろうという傲慢が透けて見えてくる。私自身が両方を経験して、歪みなんて言うなんて、どんなに傲慢だったか後悔してる。

歪んでるのはあなたじゃないってどうしたらわかるんですか?

あなた方は、要はメインストリームに乗ってるっていうだけでしょう?

やりたいこととか方向性はわかるけど、その傲慢さをどうにかしてから来てくれませんか?

その傲慢さが嫌で社会で働くのが嫌になってるんですから。

え?歪んでる方がおかしいっていうんですか?あなた方が正しいんですか?

そう感じてること自体が歪んでるって気づきませんか?矛盾してますよね?歪んでる人が相手を歪んでると導く。社会や世論という権威を盾に正義をふりかざす。

結局、患者のことを信頼してないし、自由にしてもない。

それに、あなた方のやり方を進めていくと、感性からの乖離が起こりますよ。

社会で働くには、感性は邪魔なことが多いですからね。

生命に反した行いばかり。それが出来る人の方が優秀ですもん。

だから一見、短期的には改善されますよね。思考でだまされて、その魔法が消えない限り。その魔法を、そしてそれを保持させる社会構造やコミュニティから仲間とされて受けられるメリット(安定した収入、承認欲求の充足)を、違うとわかってしまったら、魔法は消えるんです。そして怒りがわいてくるんです。そしてそんなものでしかないのに職場側からすればいいものとして評価してる愚に断絶を感じるんです。

いいですか、感性をねじ曲げると、他の病気になりますよ。感性に気づかない限り、生命と断絶したままの苦しみにあえぐことになりますよ。認知療法の関係者からすれば、体の病気で死んだり不幸になるのは、治療が終わったあとなんで知らないんですか。

ほんと、感性を押さえつける風潮が進んで、どんどん優しくない人ばかり増えて、ここ数年で機械みたいなやりとりが本当に増えました。そうしないと自分を守れないんですもんね。

それに、そういうのに耐えられる体を日本人は特性として持っていると思います。無意識で非合理矛盾を吹き飛ばした結論にたどり着けますもん。そりゃいじめも横行しますよ。いじめがなかったとしても、ことなかれ主義なだけで、これまで通りが一番っていうんでイノベーションも起きないんですよ。びびりなの。

私は無理です。論理矛盾への拒否感が優先されるんです。男が上だとか、女は下で仕方が無いとか、耐えればいいとか、そういう非合理なのが行われて、昔はそういう耐え忍べるのが大人だと思って、反発を感じたら自分が悪いって思ってたけど、絶対違います。自分が被害をうけて、それでも飲み込める人たちの方が気持ち悪いです。

 

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認知療法に関しては、一個人の感想です。すべてを否定するつもりはありません。誰かを傷つけようとも思っていません。何かに貢献するつもりもありません。不愉快な気持ちになった方は、なぜ不愉快になったのかを自問して頂く機会となれば幸いです。認知療法的に言えば、私はあなたを傷つけたり不快にさせようとしてもいませんよ。あなたのことなんて認識してませんし。けれどあなたがもし怒るなら、それは歪みですか?それともあなたの感性が何かを訴えかけているのでしょうか?

正直、こんな書き方で、こんなこと書いても断絶を深めるばかりで、なんのいいこともない、そう思って今まで正反合の合の立場ばかりで生きようとしてきました。けど、正を正として実感し表現することが私には欠けていたなと感じたのでその実践を行おうと方向転換してみた次第です。すべてを手放すために。

すべては善も悪もなく、ただ生命の流れの中にいるか否か。

現代の日本にある、誰かを傷つけてしまうかもしれないから意見が言いにくいという環境は閉塞感が強いですね。夜警のような方々がいて、自分の怒りのためか公共心か、人々に恐怖を与えていますけど、けれどそれもひとつひとつは海面に生ずる波頭のように感じます。ありがとうございます。

自分の頭で考える

10ヶ月ぶりの更新。私は知らないことばかりだ。私は何もわかっていなかった。

今日、書きたいのは「市場システム*1への違和感」についてだ。

 

4月頃に放映された、来日したムヒカ元大統領の番組を昨日になってやっと見た。

彼の思想の全容は知らないが番組のコメントから捉えるに「市場というシステムは、もう長年海洋汚染について懸念されていても一向に改善することはない、自分たちが気ままに生きる大切な時間を売り渡してしまう、人の時間を盗むようになる(経営者の暗喩か)」と感じているようだ。しかしその番組では「働くことは美徳(本人も楽しく働いている)という日本という国もあると知ってもらえたのでは」とまとめられていた。私の中で違和感*2が生じた。

いや、そもそもずっと違和感があった。それを思い出した。人は、内側*3に取り込まれているとそれが何かわからないまま生きてしまうらしい。

 

考えるには、ぼんやりとしたイメージや感覚を言葉や構図として捉える必要がある。そのためには、対象から自分をひきはがして、余白(スペース)をつくる必要がある。そうしてできたスペースを広げるためか、吐き出してすっきりさせるためか、自分の考えをめちゃくちゃでもいいから書き出してみることが、必要なのではないかと思っている。

ゆえにこの場は、私論と試論の集積になる。

 

十代の頃、職業選択について考えていて、ファッションやデザイン、アートに興味が合ったので、そういう道も考えたのだが、あまりの商業主義に私には出来ないと思った。医療や科学系にしても、人間観があまりにも自分の実感とは違っていた。

結局、社会系学部を選び進学した。そしてそこでも、科学に対する違和感は続いたが、その違和感を屈従させる形でその先へと進んで来た。そう、自分は幼いのだと、自分で自分に言い聞かせて生きてきたのだ。

そうこうするうちに、ああ、社会人と自称する人々は、この過程を経てきたのかと、心の半分では納得し、それに長けた自分を誇らしくも思い、リア充の心地よさも味わった。葛藤の日々だった青春時代を思うと、少し遅くはあるが、そのはなやかさは、確かに人々を惹きよせるだけの魅力があると思った。

しかし、心の半分では、ひどい孤独感に苛まれるようになった。

おそらく多くの社会的成功を収めた作家やその他の職業人は、「いわゆる青春」自体が持つ「魅力」にコンプレックスを抱きながらも、自らがそれを獲得した、あるいは代替の物を手に入れた過程を良いものとして後進に伝えて来たのだろう。それは価値のあるものだと。

それらは、多くの人々が追い求めるからこそ、価値があるわけで。「市場」とはまさにそのあらわれであるし、実体のないものだ。青春時代の輝きというのは、誰にでも平等に与えられているものではなく、何かこう、「市場」と近い精神文化があるような気がしている。

 

私がここで言いたいのは、なにかおかしいぞ、という感覚だ。それと同時に、市場を悪とするのもおかしいぞという感覚だ。単純ではない。商業主義の社会に馴染むことを追い求めるあいだ成長してきたと思っていたが、違ったのかもしれない。私は幼くもあったけれど、根底で感じていた違和感は、幼さゆえ、モノを知らぬがゆえの勘違いなどではなかったのではないか。肉体や精神を病んだり、引きこもっていたりする人々は、ある種の正しさをもっているのではないか。

 

もっと自分を強く信じて、その違和感の正体を、古今東西の人々の考察を知り、迫ればよかった。そしてその結果に従って生きるということをすればよかった。そう後悔している。

 

この世は葛藤だらけだ。

葛藤は悪いことではないのだ。必要だし、大切なのだ。そもそも、人体という自然に属する存在と、自然と親和性の低い状態も可能にする社会という人間が生存するためのシステムは、葛藤を生み出し続ける装置だ。

 

私は私のありのままを主として存在することが可能であるし、社会はその私を包摂するものとして形態変容しうるのではないか、いやそもそもそうして多くの私たちを主として社会は変容してきたはず。それは社会運動だとか、変革だとかそんなことではなく。

 

私たちが簡単に自分の価値を譲り渡さなければ済むだけの話。

そんな気がしている。

*1:市場というよくわからない、思い描くイメージによって全くことなるが同種の動力源による不可思議な、人の営みの隅々にまで入り込んでくるシステム。高校生の頃にそれを不思議に思い、経世済民思想の公共性と市場の果て=自然を収奪する市場が草原のイメージとともに立ち上がったのを憶えている。一度投げた問いへの応えは、いつか返ってくるものだが、十数年を経て返ってこようとは思わなかった。

*2:どっぷりそのシステムにはまって利益享受側(勝者、成功者)にあることに無意識だと評することもできるが、あえて反論とか、否定するのではなく、それも一つの感性として肯定したいし、そこに違和感を感じる私の感性も一つの感性として肯定したい。

*3:「市場」の内側にという意味。市場主義という概念はありそうだと思うのだが、近代経済学は市場を前提にしているので、文化人類学なのか、先人たちの捉え方を知りたい。こういうことを話していると知ったかぶりの親切人が出て来て、何かしら著名人を挙げては、私の話したいことと違っていて・・・と説明すると、黙りこまれてしまうというのが学生時代の思い出だ。概念と概念を比較し新たな概念を想定し議論する、既成のものにとらわれない創造性と好奇心を持った相手との出会いはかけがえのないものだ。

科学と霊能力

今週のお題「人生に影響を与えた1冊」

 

かなり久しぶりに日記を書こうかなと開いたら、お題がでてた。

 

人生に影響を与えた1冊、色んな選び方があるなと思った。

最も影響を与えたとか、人生の転換期に読んだとか、今でも心の支えになってるとか、

色々あると思うけど、今、一番興味があることに絡む本について書こうと思う。

 

本山博「密教ヨーガ」。

かなり古い本だが、興味あって何ヶ月か前に購入して、途中で止まって、

最近後半を読んだ。

そこには、著者の霊能力の体験談が載っていた。

 

そう、今 私が一番興味があるのは、霊能力って本当にあるんだろうか?ということだ。

 

この著者は、大学教授で、霊能者の母に幼い頃から修行に連れられて霊能力が開花していたらしい。

さらにそれを科学的に解明しようとしてきた人物。

 

気の流れなどの科学検証がどれほど妥当かはわからなかったのだが、

世界的に評価されているだけでなく、論理的で明瞭な文章を書くところを見ても、

学者として優秀なことが推察できた。

 

信じたいから論理で補強するタイプでもない。

目の前に不可思議なことが繰り広げられているために、それを観察し論理だてた様子。

さらに、再現可能な手法(もちろん簡単ではないが)として、まとめあげている。

古今の実践者の見解と照らし合わせて論述されている点でも、一線を画しているように思える。

 

思い込みや勘違い、論理強化ではないところで語られる霊能力。

霊能力というのは、果たしてあるのだろうか。

無いとすれば、どんな作用が起きているのか。

 

それ以上に、そこに惹かれる私は一体どうしたことなのか。

見えない世界は苦手なんですけど・・・

ひとまず興味あることを認めるところから始めよう。

必要なければ流れていくでしょう。

 

母と宗教と通話拒否

母が亡くなってもう何年も経つが、
今日、ある電話がかかってきた。

着信音は通常のとは違うし、
表示された名前は「通話拒否」。

何がなんだかわからず、つい出てしまった。

その後、私は電話口で相手にキレた。

思い出したのだ。

母の知り合いで、単身の高齢の女性。母より年下なので、六十代だったはずだ。今はおそらく七十を超えているだろうか。ここでは老女と呼ぶことにする。

その老女は生前、母がお世話になっていた信者の一人で形見分けもした人だった。

父も熱心な信者だったので、うちには関連の物がたくさんあった。

私はもう信仰も消えかけていたので、父母を弔うために一通りのものがあれば十分だったこともあり、処分にも困るし信者の方に喜んでもらえる方がいいと思ってほとんどもらってもらった。

母の亡くなる十年前に亡くなった父も人気があったので、皆さん喜んで下さっていた。

その後からだろうか、その老女から何かにつけて電話がかかってきていたような記憶がある。

こちらは家族を失って、自分の精神を立て直すのに精一杯で生きていた。
忘れたいとは思わないが、思い出すのは一人の時や親族との中だけでよくて、親しくもない母の知人とすることではないと思う。

しかしどうも、一人になった私のことを心配して…というような素振りで電話がくる。
けれどそれは口実。老女自身がさみしいんだろうことは見え見えだった。

弱っている時に、老女の明るいふりした愚痴?みたいな、なんかさみしい会話なんて地獄だ。
お互い励まし合うようなことを強要されてる気分だった。

若者がエネルギーを吸い取られる構図だ。

何回かは、母がお世話なっていたからと丁寧に接していたが、そのうち出ないようにした。

今、思い返しても、普通の人間のすることじゃないなと思う。
うちの母もそうだったけど、さみしい人間というのは怖い。

何回か掛け直さないままにしていたら、かかってこなくなった。

それから一年ほどしてだったか、また電話があった記憶がよみがえる。
知らない番号だったので出て、誰だっけ…と電話口で思い出せずにいた。
たぶん電話帳から消していたのだろう。

その時は母の友人のうちの誰かというのまではわかった。

もうおばあさんたち、勘弁してよ。。
という気分だった。

なんだかんだで、母の死を伝え聞いて電話をかけてくる人が散発的に続いていたのだ。

それらにも辛抱強く私は対応していたと思う。
二十代だったけど、頼る家族はいなかったし、親戚は年配者ばかりで私が一番しっかりしていたから、喪主もして葬儀もしきってすべて一通りのことはした。 
葬儀後も何かしら頂戴すれば、その都度手紙を添えてお返しもした。
いつまで経っても落ち着かなかった。


そんなさなか、老女は電話で「形見の中からとても大切なものが出てきたので、会ってお渡ししたい」と言った。

誰かもわからない、何の形見を差し上げたかもわからない。

私は、もう限界だったのだ。

言い方も気持ち悪かったので、それが何かも聞かなかったし、未だに母の遺した物で溢れている家で、もう勘弁してほしかった。

それに何度も母のことを思い出させられるのは、苦痛でしかなかった。

お悔やみならまだしも、愛情の押し売りにはうんざりだったのだ。

その時、私はもうやめてくださいと泣いた気がする。

(毒親だった)母のことを何度も思い出したくないんです、と。

老女の行為が気持ち悪いとは私は言わなかったが本心はそうだったし、私は私なりに母と向き合い、最小限の母の形見で十分だっただけなのだ。


あれから、さらに数年が経ち、今日までそんなことはまるっきり忘れていた。

たぶん、同じことにならないように、わざわざ通話拒否するようにアドレス登録してたんだと思う。


しかし、私は出てしまった。

声を聞いて、しまった!と思った。

また同じことを言われたので、仕方なくお断りしましたよね?と返す。

母の愛情を説く老女。

違う、そこじゃないんだ!
説明してもわからないだろうけれど、母の愛情はわかっているし、その愛し方をされるのは重いだけで、やっと自由になりつつあるんだ!もうやめてくれ!

中身も一応聞いたが、母の愛情がわかるような写真とのことだった。
人が見るととても大切なものに思えるだろうが、実はそういうのが何枚もあるのだ。

もちろん、他のまともな人からの申し出であれば、まともに対処したが、会って渡したいと何度も繰り返して言われ、私が母の愛情をわかってないと諭したがってるこの老女が気持ち悪くて限界だった。

何度も、そういう写真はたくさんあるので要りません。
そんなに処分しにくいなら、郵送してくださいというと、

「わたしもいろいろあって…」と脈絡のない事を言い出した。

めんどくさいな…

限界だった。
キレたあとに何を言ったかおぼえてないが、気持ち悪いとか、しつこいとかだけは、言わないようにした。

「はっきり言ってもらえてよかった」と冷静に言われ、「もう二度と電話しません。御機嫌よう」と言われたので、まーほんとに善意で動いてたんだろうなと思う。

善意という言い訳のね。
だって、愛をわからせたいとか、諭したいとか、宗教やってる人のエゴですもん。
自分のさみしさと向き合えない人が、代わりに神様という言い訳を使って、気を紛らわしてるんですよ。
長らく経験してきて、ようやっとまともな人の善意と、言い訳の善意の違いがわかってきましたよ。

そして私の周りには、言い訳の善意の人がなんと多かったことか。


キレてしまった直後は、激しく後悔したけれど、時間が経つと、やっぱりはっきり言ってよかったと思った。

写真見たかった気もするけれど、たぶんアルバムにあると思われるし。
同じような写真は何枚も何枚も手元にあるし。(あらゆるところに母は仕込んでたので)


いやしかし、ここでこうしてキレるまで私は芯からわかってなかったんだと思う。

宗教って気持ち悪いんだってことを。

そこがベースで生まれ育ってきたわけで、三つ子の魂っていうけど、刷り込まれちゃって、でも自分でもその思考回路気持ち悪いよ…って感じて、葛藤し続けてて。

ようやくはっきりと、思い返してやはり気持ち悪くて仕方がないってとこまできて、やっと本気で身にしみた気がする。

ピアノをひくこと

実は最近、ピアノをひいている。

 

楽器の一番古い思い出は、幼稚園の頃のハーモニカ。

 

まったく吹けなかった。

 

その次の鍵盤ハーモニカもダメ。

小学校に入って、リコーダーもダメ。

4年生の頃にあった合奏会は、恐怖でしかなかった。

 

小学生の頃、合唱団に入ってはいたが、歌も音程が取れない。自信がない。

自分としては気持ちよく上手に歌えていると思っていた時に、

親から半音はずれてて気持ちが悪いと何度も注意されて、

人前で歌うと未だにそれが頭をよぎって楽しく歌えない。

 

そんな私は、ずっとピアノをひくことに憧れがあった。

けれど、ものすごい音楽音痴。教室を続ける自信すらない。

人様に指導されると焦ってしまってうまくいかないし、第一いまはそんな体力もない。

 

一日何十分〜何時間、頑張りましょうとか、発表会だとか、

弾きたい曲を弾けるようになるだとかも、なんか違うと思っていた。

だいたい、弾きたい曲だけしか弾けない(応用が効かない)で終わるらしいし。

 

そんなとき、NHKで塩谷さんというピアニストの方の講座が再放送されていて、

それを見ていたら、練習してみたい!と思わされたことが大きい。

 

塩谷さんの講座は、リズムから入って楽しむ感じで、

なんだかこれならできそうな気がしてくる。

 

うずうずして調べていたら、小さなピアノに出会う。コルグのマイクロピアノ。

鍵盤は小さいらしいけれど、ちゃんと弾けるように配慮されているらしく

しかもだいぶ値が下がって、一万円台になっていた。

 

ちゃんとした電子ピアノと思うとスペースも必要だし、10万弱になる。

キーボードに数万円かけるくらいなら、万一弾かなくなった時でも

BGM機能がついているし、インテリアにもなるということで、

とうとう買ってしまった。

 

それが一ヶ月ほど前。

 

疲れたら止めるで、一日ほんの数分。楽しかったらもうちょっと。

はじめは全然できなかった。楽譜も読めないし。

けれど、少しずつ、片手ならひとつのフレーズが弾けるようになり、

右手部分を歌いながら左手の練習をしたり。少しずつ。

 

塩谷さんが歌えるなら弾ける!と言っていたのは本当で、

今日は、とうとう左手で2音と右手でメロディがワンフレーズできた。

すごいと思った。絶対できないと思っていたのに、できたのだ。

 

細かく言えば、音の捉え方とか、そういうコツがわかったりして、

単なる機械的な反復練習でもないんだとかも実感できた。体で学習した!って感じ。

こういうことが起こるって誰も言語化して教えてくれないよね。

 

左手で、4/4拍子で表拍がド・裏拍がミソって弾くんだけど、

私の場合、ド・ミソで一音ってくくったら、右手と一緒でも混乱しなくなったの。

ミソは裏拍だからって捉えてると、どうしても表拍になってしまうから。

 

ああ、こういう音の捉え方もあるんだーってわかったっていうか。

ジャズとかもきっとそんな気がする。音の連なりのフレーズが決まってる感じ。

 

それで、嬉しくてアメイジング・グレイスを歌いたくなって、楽譜はないので、

なんちゃってで、右手で和音でリズム、左手でメロディを弾いた。

 

あれ、こんなこともできるようになったんだ!

 

なんで右手で和音だったかと言うと、C3で歌いたくて、C2で和音にすると

重くて悲しくなったから。

C4で伴奏すると、天使の祝福を受けてるみたいなフィーリングになる。

 

コードはほとんど知らないから、メロディがソから始まる気がしたし、

ドとかミの出番の多いメロディぽかったから、ドミソでやってみた。

 

上出来、上出来!

 

今日は本当に、これが私の弾けるようになりたかったピアノだ!という手応えがあった。

その上で、もっとうまくなりたいし、他のもっと素敵な弾き方も知りたい!という欲が出て、そうしてひとつずつ上手になってくもんなんだって気がしてる。

 

こっちが本当の正解なんじゃないかと思ったんだ。

 

弾けない人が思う、ピアノが弾けたらいいなぁという憧れと、

弾ける人が考えるピアノが弾けることの差が、すごく大きいんじゃないかということ。

違う道に連れ込まれてる人、多くないですか?ってこと。

 

私は、ピアノでしゃべりたかった。

 

今日はこんな気分で、こんな思いを抱えていて、それを自分のために表現する。

自分とのコミュニケーション。

 

だから、つまらないと言われがちなハノンなんかも、

私からすれば、一音一音の響きとそこに作られる不思議なメロディ、

音の高低によって変わりゆくフィーリングなんかが胸をときめかせてくれる。

 

まぁ何時間も毎日やれ!なんて言われたら、ぜったいつまんない!って言いそうだけど。

そんなこと言われそうな教室にはぜったいいかないなーと思った。

 

体を奴隷みたいに扱うためとか、鍛えるためとか、機械みたいになりたくてピアノやるんじゃないんだもの。

 

外側の世界から見れば、そうして上手になること、人より上手になることが価値として認められるのかもしれないけれど、それが先生たちからしたら正解なんだろうけども。

 

私は、内側の世界の中で、きらきらした音の光を純粋に楽しみたくてやってるわけで。

音楽療法みたいな方が近いのかもしれないけど、私はこっちの方が、人間の本質にとって正解だと思うんだ。

 

キツすぎる言葉かもしれないけど、奴隷は奴隷をつくる。

自分が奴隷になってるって気づかないままに、そのやり方しか知らないと、

それが正しいと思い込んでしまう。

 

そちらを選ぶのも人の自由だと思う。

けど、ピアノをはじめるにあたって色々調べて、

どうもそっちのやり方しか選べないとか、見つからないとかになってる感じがしたの。

ちょっとキツいけど、しっかり意識をもって、自分の道を歩んでいかなきゃと思う。

だからこうして書いておこうと思って書いてる。

 

ピアノを弾けるようになってみたいなって思ってる人は、

自分がどういう風になりたいのかを、最初にしっかり想像してから取り組んだ方がいいと思う。

 

もちろん、超絶技巧で人前で拍手喝采で弾けるようになりたい!なら、

ちゃんとした先生について、一日何時間も練習するのもいいんだと思う。

 

まぁ、私はそうじゃなかったってこと。

C4は女の人の優しいけど常識のある声の感じがするとか、

C6になると、妖精みたいで現実感が薄い優しい声だなとか、

和音も、半音あがると少し不安定で悲しい感じだなとか、

ちゃんとはじめにピアノに触れて、音を聴いて、組み合わせてみて、

感じてから始めた方がいいと思うんだ。

 

そんなふうにとらえてみると、言葉をおぼえるのと一緒だなーって思う。

言葉だって、音楽だからね。

 

和音はフィーリングで、ピッチは人格・・・かなぁ。

 

これを書いてると、ほんとにそれで合ってるの?何も知らないのに?って声がしてきた。

 

これも私の葛藤のあらわれで、今私が行き詰まっている原因だと思う。

ピアノを通して、自分の感性を信じられるようになれたらいいな・・・。

自分の感性を信じればいいのよー!って言う人に限って、迷惑な人が多かったから、

そういうのもトラウマだったりするな・・・。

あなたのいう感性ってたんなるエゴじゃないですか?ってね・・・。

葛藤。

 

おなかすいた。

今日は買い物でばててしまって、体が動かなくなった。

それで夕方から眠っていて、こんな時間に起きている。夕飯たべてない。

 

はてぶをみつつ、色んな記事やら反応やらを見る。

人の考えとは多様でおもしろい。

特に、ミ二○リスト叩きが意外で興味深かった。

(つながりたくないので伏せ字など)

 

最小化する感性はわかるが、それを主張する自己顕示欲がうさんくさいらしい?

私としてはどちらでもいいが、最小化していく感性ってちょっとわかる。

 

そろそろ携帯の2年縛りが終わるので、次はMVNOと決めている。

ポラロイドピグを狙っていたのだが、セット販売が消えていてショックを受けた。

 

3G専用なので悩む部分もあるけれど、数千円でスマホ兼データ通信機が入手できると思うと、やっぱり一択だなと思う。

 

このスマホは、手のひらにおさまるサイズなのだ。

今までiPhone5で、6への拡大傾向を考えると反対方向。

 

あと、もう電話番号変えちゃったりしようかなとか。

そういうことを思っていて調べたのだが、LINE問題というのがあるらしい。

 

解約した番号は半年〜1年ほどで再利用されるんだとか。

そうすると、LINEで自動的に知らない人とつながる可能性があると。

 

いるいる。

使い始めた当初に非公開にできることを知らずに、友だちに表示されてる知らない人。

どっちも迷惑なのでやめた方が無難だなと思った次第。

 

新しい番号の方についてくる知らない人も、

今の番号がリサイクルされた後に周囲にかかる迷惑も。

 

なんで番号変更しようと思ったかと言うとだ。

みおふぉんとかでないかぎり、MNPに日数がかかるから。

あと、もう何年もアドレス帳が整理できてないから。

だいぶ消去したのだが、ここで一気にリセットするのもいいかなと思ったのだ。

 

そもそも本当に人と連絡をとらない。

どれだけ親しかろうとも、数年に一度程度。そういう友だち付き合いばかりだ。

感性のあう友人は頻繁に人と会わないタイプばかり。

 

もちろん、日常は同僚だの地域の人間関係だので孤立しているわけではない。

しかし、用事がなければ連絡などしたくないから、そもそも連絡しない。

ひまつぶしに話しかけられるのは疲れる。私のことは忘れていてほしい。

 

だって、感性があわないんだから。

 

このことに気づいてから、少しずつ自分が好きになってきた。

感性が合いもしない人々に囲まれて忙しく過ごしている日々は、

集団の中にいるからこその孤独を感じていた。

 

自分に不正直だった。

そんな自分が嫌いでしかたなかったし、好かれていても、

偽物の自分を見ている人たちを信じることはできなかった。

 

生き抜くためには仕方なくて・・・と言い訳の日々だった。

 

まさに不毛。

 

幼い頃からの生き方なので、変えるのは難しかった。リスクヘッジ的な生き方。

けれど、こうして人生の節目を迎えて、病気というのは自分に正直になるためのものだと思い、無理をすべてやめてみることにした。

 

幸い、各種制度が収入をしばらくは維持させてくれて、可能にしてくれた。

 

自分に正直に、収入を得て生きていけるようになる。

それが目下の目標。

 

そんな風になら、ダウンサイジングしていく過程での、

減らすことの気持ちよさみたいなのはわかるなと思う。

 

てゆか交通や通信手段が発達していなかった時代の人とかは、

これくらいだったんじゃないかなと思ったりする。

 

人間の能力範囲なんじゃないかなとか。

無限に出てくる関係を維持しないといけない相手というのは正直しんどい。

マネジメントできない。

 

しかし、このつながりの広さが収入や能力発揮の源泉だったりもするので、

なかなか減らすのも難しいなーと思う日々。

 

あとアンチの、うさんくさいというもわかる。

イデオロギーになった時点で最小化とエネルギーは逆行してる感覚。

 

人というのは、矛盾をかかえる存在なので放っておいてあげたらとも思うが。

ちなみに、本能的に広がったり、大きくなったりする感覚が好きという説を

どこかで読んだ記憶がある。

 

私の場合は、体もおっきくて、見る人によってはエネルギー的な?なんかが

おっきいらしい(目立つ)らしいから、そういうのを収めて、

きっちり一人分で生きていけたらいいなとか思うわけです。

 

昔は目立つのがいやで、存在感消す術を身につけたけども、それともまた違うやつ。

座って初対面だと、立ち上がったときに驚かれたりしてたけど、

これは骨盤を後傾させて座っていることから座高が低くなるわけだが、

現在の疾患に大きく関わるよくないクセだということがわかった。

 

体自体が縮まろう、閉じようとしていく。

これはやっぱパソコンとかスマホとか偏った体の使い方も問題ありそうと思ってる。

 

そこに依存してしまう自分の心理状態というのもあると思う。

自分と向き合い続けるというのは、なかなかに難しいなと思う。

うまくできたときは、充実感はすばらしいものだけれど。

 

私のなかにはまだ磁石の同極が存在するような感じがする。

 

ダウンサイズとか最小とかじゃなくて、ジャストサイズがいいなと思ったり。

 

 

ギョっとしたこと。裏の隣家と庭の境界のブロック塀問題。

祖父母の代から住んでいて、父母の代で建て替えた際、家の裏手に庭を作った。

奥行き3m程度の狭い庭だが、自分が引き継いだあとに手を入れて、何年も経つ。

 

この庭の、西側のブロック塀を勝手にいじられていたことが、昨日わかった。

 

隣接する家々を仮にA.B,Cとする。

A)東側は、大きな駐車場。奥に自宅+アパートが建っている。

B)西側は、普通の戸建て住宅で、我が家より庭の分だけ奥行きが短い。

C)Bの裏手に、我が家と裏の庭だけが重なるのみの家がある。

 

要は今回、Cとの境に立つブロック塀が、隣家側の一面をペンキで塗られていたことがわかったのだ。

地面をレンガ敷にして、壁はクリーム色に。悪趣味でなかったのは幸いだ。

 

ただ、ブロック塀の上面にペンキがまだらに残っていて、素人がやったことが伺える。

*ブロック塀と書いているが、もともと上側にフェンスを設置している。


 

それが昨日から、ずっと頭に来ているのだが、不確定なことがある。

それで一層いらだっている。確定させてからでないと心が休まらない。

 

それは、壁が折半で立てられたものである可能性だ。

にしたって共有財産であるのだから、確認をとるのは常識だ。

 

昔はカイヅカイブキで庭を囲んでいたが、手入れが大変なので

目隠しのために板塀に変えた。

それで、うちの壁はその板塀だとでも思われたのだろうか?

 

しかし、隣家Cからは敷地が低い所にあって見えなかったのかもしれないが、

どう見てもうちの敷地の続きに立っているのだ。

 

それでも、完全確定できないのは、

親が家を建てる際に、東側の隣家Aと前側の土地を駐車場の入り口のために少し下げ、

代わりに後ろ側の土地を少し拡張してもらったという経緯があり、

その際に隣家Aと折半でブロック塀を立てたということがあったそうだ。

だから親には、その壁に何かするときは、Aさん家に確認を取りなさいと

何度も言われてきていた。

 

しかし親からは隣家Cとのことは「何もない」としか聞いていない。

しかも、頻繁に近所付き合いのある地域ではないが、何かの折に挨拶する場合は、

親からCへの挨拶はいいと言われてきた。

もしブロック塀を共有しているのならば、ある程度は関わりを持つはずだ。

 

しかし、私が親から聞いて忘れているのかもしれない。

もう他界して何年にもなるし、私が思い込んでいる可能性だってなくはない。

 

もしくは、賃貸になっていて挨拶はいいと言ったのかもしれない。

周辺は戸建て賃貸ばかりだ。

でもそれなら、所有者の連絡先くらいは残してくれているだろう。

 

と、推論ばかりで頭が割れそうだ。

 

さらに、イラつくのは、以前から隣家の物干竿の片方が、ブロック塀に渡されており、

常に我が家の敷地にまで入ってきている。

家の裏手でこちらに不便はないので長々と黙認してきた。

 

50代夫婦+小型犬が住んでいるらしい。(私は見たことがない)

そう言ったわけで、話が通じない住人である可能性もある。

昔ならともかく、今は年齢は成熟度を表さなくなった。

 

物干竿はまだしも、ペンキは器物損壊なんじゃないんだろうか。

 

どちらにしても、一番恐れているのは、これ以上、損害を被ることだ。

 

何しろ数年前には、庭に池を掘ろうとしていたのを見た事があるのだ。

(うちの敷地側にだ。この時点で壁も所有物と思っていたことが類推される。)

あきらめてくれたようだったのでよかったが、それで水漏れでもされていたら、

地盤に水を流し込まれ続けているようなものだったわけだ。

もしくはボウフラ生産場だったかもしれない。

 

AやBの隣家とは、何事もなく何十年とやってきたし、

話が通じないと思った事はない。とてもしっかりした方々だ。

 

しかし、Cはかなり怪しい。

 

とりあえず、100%うちの所有物だということを確定させたい。

それがわかったら、壁をこれ以上扱わないでほしい。と伝えたい。

物干竿は、できれば除けてもらいたい。目隠しをしたいからだ。

(今回もフェンスに目隠しのラティスをつけていて気づいた)

 

もし、共有物だった場合は、今後何か壁に手を入れる際は、

声をかけてくださいとお願いするしかないだろう。

物干竿は、お互い様の領域におさめようと思う。

 

伝え方は難しいが、もし賃貸であったなら、管理会社に連絡する。

個人所有であった場合は、どうすべきか。口頭か、書面か。郵送か、手渡しか。

代理人を介するか。

 

悩みはつきない。