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サブカル

まだ10代だった頃。

サブカルとかアングラとか、気づけばマイナーなものの方が好きだったあの頃。

 

それらがマイナーなものだとかあまり考えたこともなく、

親は流行より信仰で、自分の興味のないものは知らないような子どもだったので、

その時々で興味のままに進んできた。

 

今でもそうで、もうサブカルもサブカルでなくなってしまった感もありつつ、

メジャーなものを楽しんだりしていたほんの少し前までの自分。

 

最近、ビッグバンセオリーにはまって、グリーは前からだけどはまってて、

フレンズみたけど、ピンとこなくて、なんかこうグッと来る作品が観たい!と思って

あれこれ調べてみて、なんかわかってしまった。

 

茶の味は後輩から教えてもらって、DVDまで買うほど好きに。

ナイスの森もおもしろかった。

間宮兄弟も切なくハッピーな気持ちになったりして、癒された。

 

グリーだって、高校カーストの中で下の方にいる子たちの話ってことに気づく。

 

結局、自分を重ねて見てたのね、って気づいた。

 

カーストの中でいくら下だろうと、上だろうとそれに負けずに、

迷いながらも自分センスで生きてくしかできない不器用さ。

 

いや、きっと人に合わせることができれば、カーストで下の方にはいかないんだよ。

ある意味、個性が強すぎて、同調主義から見れば自分たちの存在をおびやかされてる感じがして、あえて実力よりも下の方のカーストだと思い知らせようとする。

 

だから、けっこうあからさまに嫌われたり、いやがらせされたりするわけだ。

 

価値がないから、魅力がないからひどい扱いをされるのではなく、

存在が不安にさせるから、脅威だから、ひどく扱われる。

 

私は、単なるオタクでおとなしい子たちとも違ったし、

自意識過剰気味の芸術家風の子たちとも違った。

 

おとなしい子たちとは、一緒にいると情動の幅が違いすぎて、合わなかった。

自意識過剰気味の子たちとは、一緒にいて手に余るというか。

自分も同じ認識を持てればよいのかと思ったこともあったような気もするけれど、どうも冷静に自分が見えすぎてしまって、内実が伴わない自分を信じることができなかった。

 

自分には何にもないなぁと思う。

ただ、体が大きいせいもあって、人とはどうも違う雰囲気を発しているらしい。

何もしてなくても、派手なんだそうだ。。

だから、同類かと思われて、そういう子たちが寄ってくる事もままあった。

 

しかし、違うので、案外おとなしいねと言われたり。

親の教育のおかげか、社会的な逸脱行為をすることがとても嫌だったのだ。

 

その後、自分の内実に合わせて、できるかぎり、普通に

群衆にまぎれるように色々と努力してみたけれど、

半分以上、このコーピングは成功して、普通の人になれたと思うけれど

残りの半分の自分が出せなくなって、孤独でたまらなくなってしまった。

 

その孤独を埋めてくれたのは、少しシュールな作品たちだった。

 

自意識過剰にならないように、努めて普通に振る舞うようにしてきた。

大人になって、それが制御可能になって、嬉しかった。

 

けど、あれ・・・無理・・・だったの、かな・・・?

 

たぶん、いまここで止まってしまってる。

 

残り半分の私を出すのが怖い。

 

本当の私がずれてるなと思うのは、集団の中でオーケストラ指揮者みたいになる感覚。

スムーズに、効率よく、全体と調和して、全員が、動くこと。

これに合わせて思考が進んでしまう。自閉気味なのかな。

 

でもそうすることへの痛みもある。

子どもの頃、あまりに人の心の動きを見てなくて反発されて、

振り返ったら誰もいなかったことがあるからだ。

だから、自分と同じことをしている上司とか見てると苦しくなる。

 

反面教師として、心を尽くして対処してきた。

けど、根本的に恐怖から生じているので、終わりがない。害中対策のようなもの。

私にとって、自分以外の人間は、私が私のままでいると攻撃してくる嫌な生物。

蚊や蜂に近い。

 

これが、信頼関係を作るように心がけてきたんだったら、別の結果になっていたのかな。

 

何にせよ、少しでも気づくことを繰り返していくしかないと思ってる。

今は、そんな風に感じている自分とともにいようと思う。

 

心理学なんかで成長を促してくる輩もいるけど、頭で考えた答えなんてわかってるんだよ。

それを使って導くのって洗脳に近いと思う。

洗脳されるのが嫌で病気を超えられてない人だって大勢いるんだよ。

 

普通の人とは感性が違うようだけど、マイノリティでいいので、

社会の中で存在できるようになれたらいいな。。