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共感とは尊重の一形態

男性の共感能力について、いくつか記事が上がっていて

いろんな人の考えが読めておもしろかった。

 

「能力」に帰するや否やの議論になっているけれど

日本社会が身分感覚から解放されていく途上と捉えてみてはどうだろうか。

 

要は、共感というのは尊重の一形態で

女性は身分が上の男性にサービスする(尊重する)のが当たり前で、

男性はそれを返さないことで自分の身分を確認できるという

そういう機能を持っていると思う。

 

「男尊女卑」という言葉が思い浮かぶ。

スローガンになってしまって強い言葉になってしまったが

冷静に見つめれば、「男を尊重し、女を卑しめる」とは

女が躾けられる態度を表現した言葉なのかもしれない。

 

女性同士はお互いを尊重することで上下を作らない。

いや、お互いを卑しめる(謙譲する)ことで同列だという信号を送る。

おそらく自分たちが最下層だと知っている「弱者の知恵」だろう。

だから女性なのに共感という技術を使わない人間は、

意図せずして相手を下に見ているという信号を送ってしまうことになる。

 

男性同士の関係を観察すると、また違ったものも見えてくる。

案外、目下の人間は目上の人に共感能力を使っているのが見えてくる。

女性のような態度だけで済む話ではなく、男同士なら同じはずだという

かなり強力な強制力が上司あたりからは発動されている。

これがパワハラの源泉だったりする。

 

女性が昇進しようというとき、この呪縛が辛い。

女性同士の同列から外れざるを得ず、さらに男性同士ではないのに

同じはずだという同調圧力に巻き込まれる。

 

 

大分、社会の価値観も変わって、年配男性方もおおらかになった。

今の60歳代が変わり目だろうか。

 

もう少し上の戦後世代で、女性が意見を言うだけで苦い顔で見る方もいた。

別に偉そうな性格というわけではない方でも、男性が上で女性が下。

これが当たり前のことだったし、礼儀を重んじることが賢さの証だった。

自分のためではなく、娘のために苦い顔をしてくれていたりもする。

 

ほんの少し前まで日本はそういう文化を持つ国として歩んできたのだ。

 

それが世間では戦後世代の方と接する機会も段々と少なくなって、

男性の「能力」という感覚で議論される世の中になったのだとしたら

社会の身分感覚の変化が見えてくるのではないだろうか。