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私はいます

外に向けて書きたい言葉をつづるとき

「私はいる」という感覚だと思う。

 

自分自身に向けてつづるときは

「私はある」だと思う。

 

会社でセクハラを受けたときに

笑って流す教習所を卒業していた私は

はっきり自分の価値観を伝えることが出来なかった。

 

同性が味方かというと必ずしもそうではない。

笑って流す教習所や、いい風に変換してダメージ軽減しようとする教習所

を信じている相手だと返り討ちにあう。

 

やんわりしていることは女らしくて評価されるけど

働き続けるなら、仲間になっていかないといけない。

そして、女の人達自身も、変わっていかないといけないと思う。

自分の娘にどう言ってあげられるか、考えて本当に賢くなる時だと思う。

 

こういうことを、これまではっきり言えなかった。

言うつもりもなかった。賢くないからだ。

 

でも本当の賢さとは違う。

一緒に働く仲間と本当にいい関係を作っていく必要があるし

それをすることで、男女や女同士の信頼関係は固くなる。

そして、セクハラの次はパワハラ

男同士の信頼関係も強くなっていく社会になってほしい。

同調圧力を使わない関係性を学ぶ時なのだと思う。

 

それは丸腰で組織の中に入っていくようなものだけれど

唯一の武器は、聴くことだと思う。

そして、自分の心を発すること。「私はいる」んです、と。

あとは組織の判断機能が健全であれば、定着する。

 

きっとそういう企業は強くなる。

だって、これから先の社会がそうなっていく希望を働く皆が持っているから。

ことはそう単純ではないけれど、あえて単純なロジックに落とすと

大きな方向性は間違っていないと思う。

 

まぁニュースとか見てると逆行するような考え方も

蔓延しつつあるのは大きな懸念材料ではあるけれど。

私はどちらが正しいかなんてわからない。

自分がどちらを望むかという意味。

 

本当にちゃんと自分の考えを、組織の多勢を占める価値観を否定することになっても

言うようにしていかないとダメだと思った。

実はアイデアがもたらされるのを待っているだけかもしれないし。

恐れることなく、内心怯えている人の話を聴くようにすれば

案外、風向きは変わることもあったりする。

自分のために言うわけではなくて、全体のために言う限り。

 

なんでこんな話を書いたかという内容は

長くなりすぎるので別記事にしようと思う。