まだもう少しあがいて

ドラマの中で、脳に腫瘍が出来ると人格が変わることもあるという設定で、

女優さんが患者役を演じていた。

 

自己卑下が激しくなっていくセリフの中で

ずっと見下してたんでしょうとか

家族を優先して自分は結婚を我慢したとか

それを聞いた家族は、本音ではそんな風に思っていたのかと愕然とする。

 

罪悪感に駆られる家族に

病気でそうなっているだけだからと、医師は諭す。

 

けれど、全く思っていなかったら出てこないんじゃないか・・・

すっきりしない思いを抱える

きっとそれは、永遠の謎の中に紛れていく。

 

今、セロトニンを増やすリズムで電子音を聞きながら

これを書いています。

 

明日、ちょっと緊張する予定が入っていて、自己卑下は全開。

それはきっと攻撃なんだろうな。

 

自分はいてはいけない人間だとか

明日会う人はきっと敵だとか

社会不適合者だとレッテルを貼られてしまったらどうしようとか

そもそもパラダイムが違うのだとか

修道院に入ろうかとか(パラダイムの違いを超えるために)

 

耳の調整をすれば、聞こえるものが変わって

その思考には入らなくなることはわかってる

至極まともな頭になることもできる

この世の退屈に耐えるに等しい生き方だけれど

いや、それは私が人のパラダイムを壊そうとしないからか。

そうして私は絶望している。誰かこっちに来てくれないかななんて。

 

精神症状は治すものではなくて、それが指し示しているものを

自分の中で統合する必要があって、いまそのためにあがいている。

 

なんてことを説明しても、わかってもらえないパラダイムの違いは

聞こえているものを変えることでしか、越えていけないのかなぁ。

 

今の困っているこちら側から、まだもう少しあがいていたい。