バックミンスター
バックミンスターフラーが気になってきたので
色々と調べてみた。
著作は安いものもあるけど
五千円超えだすと中身見てから買いたいなと思うので下調べ。
バックミンスターフラーを文化史的に解説?してくれてた人がいたので
マクルーハンあたりと同列というのがわかった。
どのあたりの系譜かというのもわかって、これまでなんか親和性があるけど、遠いなーと思ってた界隈の人々も影響受けてることもわかった。
なんていうか、故郷の川にもどってきて、ここじゃね?と思った鮭の気持ちかも。
似たような川に遡上してるものの、何かが違うんだよな…なぜか隣の川に仲間がいる気がするんだけど、つながってないから行けないし…
と不安になってたけど、より源流にまで遡ったら、間違ってなかったー!みたいな、つながってんじゃん!みたいな。
まだ読んでないんで、そんな予感て感じ。
不安だったころと違って、今はもともとの湧水地点を先に見つけちゃったので、あーね。て感じで、親和性のある界隈は界隈で、今となっては過去だったり。
けどその解説してた人的にはオワコン扱いだったので、悲しくなった。
オワコンなのが悲しいというより、マーケット的な見方で捉えてるのが悲しかったのかも。
以前、同僚がLOHASをマーケティング用語とさらっと片づけてて、その意識の低さに一瞬言葉を失ってしまったわけで。
けど、もしこの記事を読む人がいたとして、おそらくその多くは、え?そうじゃないの?いまや時代遅れの使い古されたキーワードだよね?という反応が一般的なんだろう。
私たちは社会という人間が作り上げたシステムの中で生きている。
その中で暮らすことを学習していくが、その社会自体が地球という自然環境のなかで成り立っていることは、あまり意識されない。
スタンスとしては、どれも一種の思想であるとするのは、冷静さを保ち、取り込まれてしまうことを防ぐこともできるのでよいと思う
が、その思想の背後にある心情を省くドライさ、あるいは省かないと論じることのできない私たちの文化の狭量さは、いつも悲しい。
まるで、この世界には人間しかいないみたいだ。
健康で持続的な生活。
今となっては、これまでの経済活動をオシャレにシマショー的なのになってしまったのだけれど。
読んでないんで擁護しようもないけど。
バックミンスターフラー、大切な何かを感じてます。