母と宗教と通話拒否

母が亡くなってもう何年も経つが、
今日、ある電話がかかってきた。

着信音は通常のとは違うし、
表示された名前は「通話拒否」。

何がなんだかわからず、つい出てしまった。

その後、私は電話口で相手にキレた。

思い出したのだ。

母の知り合いで、単身の高齢の女性。母より年下なので、六十代だったはずだ。今はおそらく七十を超えているだろうか。ここでは老女と呼ぶことにする。

その老女は生前、母がお世話になっていた信者の一人で形見分けもした人だった。

父も熱心な信者だったので、うちには関連の物がたくさんあった。

私はもう信仰も消えかけていたので、父母を弔うために一通りのものがあれば十分だったこともあり、処分にも困るし信者の方に喜んでもらえる方がいいと思ってほとんどもらってもらった。

母の亡くなる十年前に亡くなった父も人気があったので、皆さん喜んで下さっていた。

その後からだろうか、その老女から何かにつけて電話がかかってきていたような記憶がある。

こちらは家族を失って、自分の精神を立て直すのに精一杯で生きていた。
忘れたいとは思わないが、思い出すのは一人の時や親族との中だけでよくて、親しくもない母の知人とすることではないと思う。

しかしどうも、一人になった私のことを心配して…というような素振りで電話がくる。
けれどそれは口実。老女自身がさみしいんだろうことは見え見えだった。

弱っている時に、老女の明るいふりした愚痴?みたいな、なんかさみしい会話なんて地獄だ。
お互い励まし合うようなことを強要されてる気分だった。

若者がエネルギーを吸い取られる構図だ。

何回かは、母がお世話なっていたからと丁寧に接していたが、そのうち出ないようにした。

今、思い返しても、普通の人間のすることじゃないなと思う。
うちの母もそうだったけど、さみしい人間というのは怖い。

何回か掛け直さないままにしていたら、かかってこなくなった。

それから一年ほどしてだったか、また電話があった記憶がよみがえる。
知らない番号だったので出て、誰だっけ…と電話口で思い出せずにいた。
たぶん電話帳から消していたのだろう。

その時は母の友人のうちの誰かというのまではわかった。

もうおばあさんたち、勘弁してよ。。
という気分だった。

なんだかんだで、母の死を伝え聞いて電話をかけてくる人が散発的に続いていたのだ。

それらにも辛抱強く私は対応していたと思う。
二十代だったけど、頼る家族はいなかったし、親戚は年配者ばかりで私が一番しっかりしていたから、喪主もして葬儀もしきってすべて一通りのことはした。 
葬儀後も何かしら頂戴すれば、その都度手紙を添えてお返しもした。
いつまで経っても落ち着かなかった。


そんなさなか、老女は電話で「形見の中からとても大切なものが出てきたので、会ってお渡ししたい」と言った。

誰かもわからない、何の形見を差し上げたかもわからない。

私は、もう限界だったのだ。

言い方も気持ち悪かったので、それが何かも聞かなかったし、未だに母の遺した物で溢れている家で、もう勘弁してほしかった。

それに何度も母のことを思い出させられるのは、苦痛でしかなかった。

お悔やみならまだしも、愛情の押し売りにはうんざりだったのだ。

その時、私はもうやめてくださいと泣いた気がする。

(毒親だった)母のことを何度も思い出したくないんです、と。

老女の行為が気持ち悪いとは私は言わなかったが本心はそうだったし、私は私なりに母と向き合い、最小限の母の形見で十分だっただけなのだ。


あれから、さらに数年が経ち、今日までそんなことはまるっきり忘れていた。

たぶん、同じことにならないように、わざわざ通話拒否するようにアドレス登録してたんだと思う。


しかし、私は出てしまった。

声を聞いて、しまった!と思った。

また同じことを言われたので、仕方なくお断りしましたよね?と返す。

母の愛情を説く老女。

違う、そこじゃないんだ!
説明してもわからないだろうけれど、母の愛情はわかっているし、その愛し方をされるのは重いだけで、やっと自由になりつつあるんだ!もうやめてくれ!

中身も一応聞いたが、母の愛情がわかるような写真とのことだった。
人が見るととても大切なものに思えるだろうが、実はそういうのが何枚もあるのだ。

もちろん、他のまともな人からの申し出であれば、まともに対処したが、会って渡したいと何度も繰り返して言われ、私が母の愛情をわかってないと諭したがってるこの老女が気持ち悪くて限界だった。

何度も、そういう写真はたくさんあるので要りません。
そんなに処分しにくいなら、郵送してくださいというと、

「わたしもいろいろあって…」と脈絡のない事を言い出した。

めんどくさいな…

限界だった。
キレたあとに何を言ったかおぼえてないが、気持ち悪いとか、しつこいとかだけは、言わないようにした。

「はっきり言ってもらえてよかった」と冷静に言われ、「もう二度と電話しません。御機嫌よう」と言われたので、まーほんとに善意で動いてたんだろうなと思う。

善意という言い訳のね。
だって、愛をわからせたいとか、諭したいとか、宗教やってる人のエゴですもん。
自分のさみしさと向き合えない人が、代わりに神様という言い訳を使って、気を紛らわしてるんですよ。
長らく経験してきて、ようやっとまともな人の善意と、言い訳の善意の違いがわかってきましたよ。

そして私の周りには、言い訳の善意の人がなんと多かったことか。


キレてしまった直後は、激しく後悔したけれど、時間が経つと、やっぱりはっきり言ってよかったと思った。

写真見たかった気もするけれど、たぶんアルバムにあると思われるし。
同じような写真は何枚も何枚も手元にあるし。(あらゆるところに母は仕込んでたので)


いやしかし、ここでこうしてキレるまで私は芯からわかってなかったんだと思う。

宗教って気持ち悪いんだってことを。

そこがベースで生まれ育ってきたわけで、三つ子の魂っていうけど、刷り込まれちゃって、でも自分でもその思考回路気持ち悪いよ…って感じて、葛藤し続けてて。

ようやくはっきりと、思い返してやはり気持ち悪くて仕方がないってとこまできて、やっと本気で身にしみた気がする。