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夢と罪の告白

おせっかいで苦手な先輩。ドアが壊れたと相談しにきた。

ふと見ると、うちには二枚のドアがあった。

一枚あげると先輩は帰っていった。

小さな軽自動車がうちの駐車場にとまっていて、それに載せて帰っていった。

玄関を見ると、ドアを一枚あげてしまったので、塞ぐものがない。

直そうと思っていた引き戸をはめておく。

事の経緯を戻ってきた上司へ報告した・・・・・

 

その次は、ある家族の母親になっていた。夫と小学生以下の子ども二人。

休日には双方の実家へ遊びに行くという名目で買い出しやらの手伝いにいく日々を送っていた。

子どもが大きくなり、価値観が合わずに次第に行き来を止める。

きしむ価値観の違いを暗示する場面が続く。

たとえば車の扉が閉まらないので、ずっと抑えて乗っていなくてはならない。

無理矢理に積載量オーバーの荷物を積むなど・・・・・・

 

今朝起きて思ったこと。

 

私にはふたつの時代があった。いまはそのふたつの道の分岐点にいるようだ。

どちらの道にもいけずに、葛藤している。

 

大人になり聴覚を調整したあと、能力は伸び、人との関わりは楽になった。

空気を読んで自分を引っ込めるようになった、寛容になったと言われた。

しかし実際には、自分らしい自分が素直に出せるようになる一方で、

出せない部分が大きく積み重なり、持て余し続けていた。

空気に合わない自分の出し方がわからなかったのだ。

 

子どもの頃、難しい子どもだった。

気になることがあると、深く追求して

友だちに避けられて、傷ついたことがしばしばあった。

 

大人になり聴覚を調整したあと、その友だちがなぜ自分を避けていたのか

その感覚がわかった。その方が楽だったからだ。

 

子どもの頃から、私はずっとしんどかった。

うまく行かない人間関係を抱えたまま生きるのが。

空気を読んでも、勝算なく自分を出す方を選んでしまう。人に避けられる。

そのうち、自分で自分を避けるようになる。自分でダメだしをするようになる。

 

聴覚調整をしたあと、とても楽になった。

空気を読めない人に巻き込まれることもなくなった。

自分にダメだしをする必要もなくなった。

 

でもどこかで、ふたつに分裂してしまっていた。

 

「空気を読めない方が悪い」

「避けられても仕方がない」

 

そういう価値観を持った人たちとつきあっていて「楽で楽しい」と同時に傷ついていた。

そういう価値観の人同士とでないと、間接的に巻き込まれてしまうからだ。

ああ、そうだ。私は罪を犯した。

 

あれからずっと私は私を責めている。

 

子ども時代の私は「避けられても仕方がない」存在だったのかと。

「空気を読めない方が悪い」という価値観を押し付けられて、

悲しかったのは、私が間違っていたのか、と。

 

私は、「空気を読めない方が悪い」という暗黙の圧力をかけてくる人たちが嫌いだった。

ううん、いまでも「大嫌いだ」って気づいた。

 

空気ってなに。

聞こえてる音は、それぞれに違っていて、聞こえているものの違いが個性でしょう?

 

 

大人の私は私に言い返し続けてきた。

けれどもうその効力は切れてしまったみたいだ。

 

めんどくさくても、しがみつかれて辟易しても。

いや、それと同時にそれを嫌う自分すらも、傲慢で冷酷で悪意的な心をも。

 

すべてはすべての人に「個別に備わった生命力の発現」という意味での個性。

醜くて臭くて汚くて扱いが難しくて悪魔のようで。

時にそれは美しく見えることもある矛盾を超えた存在。

 

私は私を保っていいのだ。

たとえ私が活火山だったとしてもだ。

すべての人が沈黙し耐え忍び、私を撲滅しようと襲いかかってきたとしても。

 

賢く振る舞えという声には気をつける。どちらが真に賢いのか。

生命力を抑圧して生き延びることなのか、それとも個性を生ききることなのか。

いや、それではそもそもの命題の立て方がずれてる。

 

生命力を活かして生き延びること。

葛藤はその内部に宿り続ける。