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ずっと、友がほしいと心のどこかで思っていた気がします。

 

すべての苦しみは、自分が「いる」ようで「いない」こと。

 

体のこともあって、アクティブになれないし気難しくなってしまうので

長時間、頻繁に人と会うわけにはいかない、楽しく過ごせる自信がないというのも。

 

体さえ健康なら、多少のことは気にせずにつきあえる人もいるのでしょうけど。

そういう時期も確かにありましたし。

 

けれど、こうして実際の体の制限を受ける状態になって、

やはり、互いを理解しあえる仲というのではなかったなと思うわけです。

 

友がないわけではないんです。

 

遠方にいたり、同じような性格だったりして、頻繁に合わないけれど

よき友には、なかなかに恵まれたなと思います。

 

学生時代の級友仲間もいて、もう10年以上経ってもなお、

ゆるやかな紐帯で結ばれていることを感じたり。

 

あとは不思議なご縁で結ばれたつながりが、数年前から始まりました。

 

比べるものではないけれど、彼らといると今を生きている感覚になります。

 

特に級友たちは本当に好き。

自分は自分。今出来ることをやる。強くもないし、弱ったりもする。

苦楽のある人生をそれぞれ送っているけれど、率直にかっこつけずに悩んでます。

同じようなことで悩んでいたりとかして、自省の仕方も似ていたりして、

数年ぶりでもこんなに自然に共感できる友がいて、ともに今を生きることができて、

本当に幸せ者です。

 

 

私が一番嫌いな言葉に「そんなに難しいこと考えない方がいいよ」というのがあります。

これを言う人間に私は一番憎しみを感じます。

 

同じ人類なのだろうかと正直思っています。自分と向き合うために正直に書いています。

受容的な言い方で、「(見当もつかないし、必要も感じられないけど)そういう感じなんだね」というのもあります。

そして、私の周囲にはそういう人ばかりです。

 

なんでこんなに頭を使わずに世界を考えずに生きているんだろう。

この様々な価値観が崩壊した時代において、どうあるべきかを問い直さずに

どうして生きて行けるんだろう。

正直、気持ち悪いんです。いい訳ばかりの彼らが。

 

私は彼らに合わせて、自分に嘘をついて、相手にも嘘をついて生きています。

これはよくないことだと思います。(外側の指標に寄るものではなくて)

なぜなら、誰かの言葉も嘘に思えるからです。そしてきっと嘘なのです。

だって、本心だとしたら、きっとわかるものだからです。

しかし、子どもの頃からですが、私の嘘はなぜか誰も疑わなかった。

むしろ、本音を言えば言うほど疑われていました。

 

だから、私は彼らが憎いのだと思います。気持ち悪いのだと思います。

 

そして、こうした自分と向き合う時間を作るようになって、

自分の生い立ちを見つめ直す時間をとることになりました。

 

特に特殊とは思っていなかったです。

けれど、そこに秘められていた世界が今広がり始めたのを感じています。

 

私が長らく悩んでいたことを、違う形にせよ感じ続けてきていた人たちがいる。

内心の自由を保ちたいので、直接かかわり合いにはなりたくないですが。

 

私がシンパシーを感じているのは、宣教師・修道士たちです。

おそらくキリスト教、おそらくカトリックの。

 

彼らの述べ伝えるという結論には、よけいなお世話と思えるので

一切ピンと来ていませんが、その結論に至る手前にある原因となる、

心の求める感覚、召命、これがわかるし、このところどうにも抗いがたく、

受け入れざるをえないところまで来てしまったようなのです。

カトリックキリスト教も宗教全般も気持ちが悪くて

 拒絶しているので、葛藤は激しいのですが)

 

そして、書物をあたる中で「私的誓願」について書かれている箇所を読み、

おそらくこれがキーになってくるとわかりました。

 

「キリストを友とすること」

 

宣教師、修道士の彼らは、友というよりは神との一致を求めていて

私はそこまでその感覚は強くはないです。

 

もちろん、常に神への渇望はありますし、神は愛であり光であるという

奇跡のコースで語られる感覚をなぜか知っています。

 

だから、もしかしたら同じことを求めているのかもしれません。

そんなに性急に進めるものではないと思うので、

ひとまずは友人として誠実に接するところから、始めるのがいいのではないかと

そんなように思ったのです。

 

紐帯というのは、はじめからあるものですし、

常に更新されながら、新たになりつづけるものだと思います。

 

記憶や恩義でとどめておけるものではないのです。

 

それが正直で誠実な友人関係であり、

私が今、求めているものだと思いました。

 

ここから先、このブログがどれだけ濃いものになっていくのか

果たして私はまともな思考で書き記すことが出来るのか、そのあたりが心配です。