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影の世界

「人を傷つけるくらいなら、私は変わりたくなんかない」

 

泣いてしまいそうな、この感情は一体何だろうか・・・

表す言葉を探していて、叫んだ時には涙がこぼれていた。

 

悔恨の言葉。

自分は本当にひどい人間だと思う。

人間は弱いから仕方がないとは思えなかった。

だからずっと葛藤し続けてきた。うつになるくらい。

 

小学生の頃の自分はどうなる?

寄り添うこともできないままで、捨ててしまうことも出来ない。

 

ただ生きる。力を抜いて生きる。

そこにある「私」という「記憶の連続体」は、「痛みの物語」を持っている。

それが「記憶の連続体としての私」であり、自然体なのだ。

 

女は、女としての枷をはめられて躾けられる。

男の人は、女が枷をはめている姿を見て、同情心とともに

自己の有用性を認識したいがために、恋愛感情を持つのではないかと

思ったことがある。

 

女の仕草は、どれも制約を意識して行われる。

速度を抑えたり、静かにしたり、小さく動かすと女らしく見える。

 

こういうように分解して考えられるのも、

私が成人してからこの様式を学習したためだ。

 

母の強い意向で女らしくと躾けられることがなかった。

強い意向というよりは、怒りと憎しみだったように思う。

女の子ぽい態度が嫌いと母は常に言っていた。

 

おかげで私は女の枷からは自由に育った。

別の枷がたくさんついていたので、それを外し、

自分で普通の女の枷をはめることを覚えるまで、

様々な圧力を感じながら孤独に生きてきた。

 

普通の女の枷をつけると、人間関係は潤沢になった。

リア充というやつだ。

 

しかしこのリア充になると、ヒエラルヒーの中で生きることになる。

 

これまでは最下層にいたため、貶められ続けてきた頃の自分を思うと

さらに自分より下の人間を作ろうとは思いもしなかった。

 

ところが、リア充になると自分を保つ必要が出てくる。

友人関係を維持するため、職場での関係を維持するため、

仕事で成果を出すためにも、人間的信頼を勝ち得るため、

「常識的な考え方をする自分」を演じ続けなければならなくなる。

 

自分は弱いから仕方がない。自分に言い聞かせ続けた。

世界は平穏に進み続けた。

 

けれど私は病気にかかり続けた。忘れないでと言われているようだった。

 

上手く説明できていないと思う。まだ咀嚼しきれていない。

書いていて苦しくなる。

 

「人を傷つけるくらいなら、私は変わりたくなんかない」

 

この言葉は、子供時代に辛い思いをしてきた自分と

同じような悲しい目に合わせるくらいなら

もう二度とリア充にはなりたくない、ということ。

 

いや、リア充として生きることだけが普通で、

苦しみを隠して、この構造を保とうとするすべての人と

私はもう付き合わない。

 

影の世界には痛みや苦しみが溢れている。

私は、苦しみとともにいる。痛みとともにいる。

 

影の世界に生きる。

それが私という物語を生きるということだからだ。