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小舟

今日は最悪な気分で目が覚めた。

自分の精神が暴走している。

 

神様は、碇を置いて行ってくれた。

これがなかったなら、私はまた嵐の中を舞う小舟のようになっていただろう。

私の心は港の中にあるが、此岸と もやってはいない。

ただ碇は投げ込まれていたので、少しましなだけだ。

そして、此岸に結ばれていることを私は望んではいない。

 

昨日、記事を書いて少しして、珍しく知人から電話が来た。

私の葛藤を話したことがある唯一の人だ。

私の解釈を聞いて、わかる、興味深いと言ってくれる人物だった。

別の用件で連絡をくれて、近況を聞いてくださった。

 

私の思考は一ヶ月もあれば様々な展開をみせる。

このところブログを書いていること、葛藤のその後のことなど

話していなかった時間を遡って埋めるように話をした。

 

わかるし興味深いと、何か得る物があったように言ってくださり、

少し救われた。

 

そうでなければ、昨日の記事に対する自己嫌悪はもっと激しかっただろう。

まず

私は極めて自分がまともな発想をしているように思えてならない。

多少おびえてはいるものの、冷静に批判精神を持って検証に臨む精神状態にある。

と自己正当化をしたこと。

 

かき消したいくらいだ。

 

どうして未だに救われようとするのだろうか。

自分の価値を保とうとするのか。

 

自己開示をしたことで、攻撃される恐怖が高まっている。

人格障害だろうか?いずれにしても抵抗をやめようと思った。

攻撃され、殺され、見捨てられ、誰も助けてはくれない。この恐怖に。

体はまたぎゅっと自らを縛り上げるのに力が入ってしまっているようだ。

 

ゆっくりお風呂に入って、綺麗にお化粧して、

美容院やネイルサロンに行けば、気分は紛れることだって知っている。

 

自己の価値を高め、大切にする・・・

だけど、それは付け焼き刃でしか無く、繰り返される消費行動の原因でしか無い。

私にとっては、手慣れた自己防衛手段でしか無いのだ。

自らと違う者、蔑むべき者への攻撃を受けないための・・・

 

私は、弱い。

強くなりたい。

 

 

※もやって=係留する

・・・もやうという言葉が好きだ。

Google日本語入力では漢字変換は出ないらしい。航うとも書く。

モヤイ像と言う時、いつも船が岸に係留されている像を夢想してしまう。

「モアイ像だなぁ」とカタカナ語表記の歴史に思いを馳せる。