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自分の目線

連投になってしまうけれど

切ったほうがわかりやすいと思ったので。

 

笑って流す教習所を出てるだけでは

社会では生き残っていけないんだ〜という話を考えたきっかけ。

 

久しぶりに体の調整をしてもらいに行って

そこで素直な体になって、ふと感じたわけです。

 心の忘れ物っていうんですかね。

 

体の安定性や、体の隅々まで意識が行き渡りはじめると

日々の出来事に本当はこう感じてたんだとか、

ちょっと日常を継続するには不都合な本心が

ふと受け入れられるようになるんです。

 

前回の表現で言うと「私はいる」んです、の前に

「私はある」、こういう感情とか考えとか持っているんだな

があるわけです。

 

これまでは、それを活かすかどうかすら迷ってて。

黙っている方が安心だし賢いしHPも減らない。

けれど、何度も体にアクセスして感覚を取り戻すたびに

活かしたほうがいいんだと思えるようになってきました。

今日は特にその感覚が強かった。

 

循環させることで定着する効果もありそう。

 

もっと詳しく体から言うと、蝶形骨について教えてもらって

自分が目で見て感じたことを信頼しようと思えた。

 

耳と鼻先を結ぶ仮想ラインを引くと

奥歯のあたりや後頭部の骨と接しているような位置に

目や脳を支えている骨がある。

人間がどこで判断を決めるかといえば、究極的には体感なのだと思う。

 

私は今日、自分の目線に判断基準のラインを得た感覚があった。

自分の目で見て決めるという感覚。
 

知っていることで決めていくのではなく

感じていることで決めるのでもなく

目で見て耳で聞いたことで決める。

 

これがどういうことか自分でもまだわかっていないけれど

様々な人の考え方を見聞きして、何が自分にとって正しいのか

見失っていた私にとって重要なことだということだけはわかる。

 

明日にはまた考え方も変わっているかもしれないけれど。

体感というのはなかなかどっしり土台になってくれることも期待しつつ。