過去と向き合う決意

あふれだしてしまって連投。

 

ちゃんと自分と向き合って

意味を整理した方がいいんじゃないかって

いままでその勇気がなくて逃げ続けて

けど、いまこうして自分の人生を振り返ることが

ものすごく怖くて息も詰めてしまうけれど

でも冷静にとらえられるようになるためには

ここを越えていかないと行けないような気がして

 

聞いて気持ちのいいもんじゃない昔語りで

若い頃は語ったりしていたけど

全部裸になるようなことではなかった気がする

人の目を気にして、自己卑下と自己改善の方向で

行き詰まらないように結論づけたりして

しゃべることでエネルギーを発散していたような気がする。

 

大学一年で父が亡くなった頃から、心のうちを話すことが出来なくなった。

誰もこの辛さをわかってくれないと思うことが多くなった。

それまでの友人関係とか、すべてが手のひらから砂のようにこぼれ落ちて

いつもの生活を送りながら、誰かといるときには静かに絶望していた。

誰かの同情も受け付けなかったし、ほとんど誰もが同情しなかった。

悲しんでいる私は困った子扱いで、常に私は間違った存在だった。

 

不幸せな私を憐れんで、母はたくさんの物を買い与えてくれた。

自分より不幸な子。母曰く、自分の父は長生きだったからと。

けれど私に必要だったのは、物じゃなかった。

母の心の安定だった。

私の絶望は、父を亡くした母が、私と祖母を抱えてひとりで

心の支えを失っているところから始まっていた。

 

母は人を信じて任せるということをしない人で

いつも不安で心配していた。

私は子どもの頃から自分で何かやり遂げたという経験を思い出すことが出来ない。

 

だから父の代わりをしたり、自分の出来ることで母を支えるという自信がなかった。

私が父のかわりにいなくなったらよかったと心底思った。

今からかわりに死ねないかなと思った。何度も何度も。

美談のように聞こえたなら、それは間違いだ。

私は、母が心底怖かったのだ。

母が不幸になれば、私はさらに不幸でなければならない。

楽しんではならない。自由にしてはならない。

母のいうことを聞かなければならない。母を愛し満たさねばならない。

心の支えを亡くした母は、そのうちさらに不幸になって、

私はさらに自分を殺さなければいけなくなる。怖い。

怖いと思いながら、それを免れるために自分を責めて責めて地獄に落とした。

限界だった・・・・

 

あざとく書くと、今の私は豊かで恵まれた人生を送ってる。

救いようのない悲しみと絶望だけを置き去りにしてしまうのは嫌なので

 まず布石として、いま幸せだからこそ過去と向き合えるのかもしれないと書いておきたい。

 

現在の豊かさの大きな要因として、母が工面して進学させてくれたことがある。

おかげで定年まで働けるであろう職に就くことが出来た。

 

それをベースに、父が亡くなった後の私は自助努力を何年も重ね、

自立の道を歩み、様々な努力の末に恵まれた人生のテンプレートを手に入れた。

 

様々なコミュニケーション・スキルやビジネススキル、科学的な考え方、エステにメイクにファッションなどに加えて、心理学、精神世界の考え方など、表から裏から自分の納得のいくように生きてきた。

 

どこからどう見ても、子どもの頃から優秀で恵まれて

愛されて生きてきたと思われるような人間が出来た。

 

けれど、真実は違う。

自分で言うものでもないと思っているから、

何の苦労も知らないように振る舞うけれど、本当は違う。

 

どうにもならない社会不適合者の自分がいる。

ちなみによくあるストーリーのように、物質面だけで自分を作らなかったから

簡単には破綻しないし、うそ臭くもない人格が出来上がってしまった。

 

誰にも気づかれないけれど、自分の中で分離してしまっている人生。

勇気をもって振り返ってみようと思う。