無価値な自分

「自分に価値が無いように感じるんですよね」

口に出したら、場が凍った。

 

なんらかの会話が成り立つものと思って、何の気なしに言ったのだ。

 

趣味の集まりがあって、帰りに少しお茶に寄った時だった。

十歳ほど年上の女性2人。

共感はなくとも、知性や感性でわかっているんじゃないかと思っていた。

 

あれから10年に近い月日が経った。

 

「無価値な自分」にあれやこれやと接ぎ木して肥料を与えた。

穏やかで安定した日常を送るようになったけれど、

「無価値な自分」はいつまでも同じままだった。

 

脱ぎ捨てることにした。

接ぎ木を捨て、肥料を絶って、ネガティブな感情をとりつくろうのをやめた。

ポジティブで自信がありそうで自分を愛していそうな仮面を脱ぎ捨ててみた。

 

この仮面で、自分は治るんだと思っていた。

「無価値な自分」は習慣的なもので、習慣を変えればいいと思っていた。

もちろん、仮面というのは、後から気づいたことだ。

 

習慣をポジティブなものに変えれば、人は優しくしてくれるし、

大切にもしてもらえる。人間的な成長もあった。

 

だけれど、「無価値な自分」が置いてきぼりになってしまった。

すべてのラッキーなことは、仮面の方に属していた。

 

「無価値な自分」で生きるのは、子どもの時以来。

誰にも好かれず、本当に辛い日々。よぎるだけで切なくなる。

 

でもなぜだか、ほっとしている。

 

「自分には価値が無い」

この方が事実で、正直な感性なのではないかと思うのだ。

認めてしまえば、抗う必要がなくなるのだ。

 

『ACですね、癒やせば価値ある自分になれます』

・・・ではなくて

『仮面は悪いものではないですよ。あなたを守ってくれるものです。』

・・・でもなくて(もちろんそうなのだけれども)

 

「自分に価値はない。けど、だからこそ、優しくします。」

 

この思考実験が功を奏するか。

まだはじまったばかりで正直分からない。

勝算なくはじめたわけではないが、

とてつもない不具合を抱えてしまうかも知れない。

 

そのあたりも正直に記していこうと思う。